談話室
山頭火の絶筆というべき三句に
「ぶすりと音たたて虫は焼け死んだ」
「焼かれて死ぬる虫のにほひのかんばしく」
「打つよりをはる虫のいのちのもろい風」
がありますが、辞世の句が「もりもりもりあがる雲へ歩む」とする説があるものの、他に諸説あるようです。
死の年である1940(昭和15)58歳 の「一草庵日記 」に
『 八月二十日 晴。
早起、空が何ともいへない美しさだつた。孤貧に徹せよ、それが私に残されたる唯一の道である。即景即事即物即心である、あらねばならない。
句作の心がまへとして、―― 貪著心を去れ。身心一如たれ。すなほであれ、強く強く、細く細く。……
昨日は昨日の風が吹いた、今日は今日の風が吹く、明日は明日の風が吹かうではないか。
今日の今を生きよ、生きめけよ。』
として、自らの運命を受容し達観している心情が見られます。
絶筆は死の3日前である十月八日に
『 … 感謝は誠であり信である、誠であり、信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽きせぬ喜びが生れるのである。… 母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊―仏―への感謝。
一洵老が師匠の空覚聖尼からしみじみ教へてもらつたといふ懺悔、感謝、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道である――と思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり、精進があれば必ずそこに感謝があるべき筈である、感謝は懺悔と精神との娘である、私はこの娘を大切に心の中に育くんでゆかなければならぬ。
芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろう … 感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。 … 更けて書かうとするに今日は殊に手がふるへる。』
として、自らの死を覚悟しているかのように思えます。
他界の半年前に著した『草木塔』の冒頭「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」と認めており、母親の位牌を身につけて旅をしていたことからも、10歳で死に別れた母親への思慕が終生あったように考えられます。
山頭火は、酒とともにコーヒーを好んでいたことが分かりましたが、果たしてコーヒーをどうやって飲んでいたのでしょうか。サイフォン式だったのか、ドリップ式だったのでしょうか。
山頭火がコーヒーを盛んに飲んでいた時代は、1933年神戸に上島商店(現UCC)が創業、1934年にはコロンビアコーヒーの輸入開始され、1938年にはコーヒーの輸入制限が始まった時期です。インスタントコーヒーは1960年代ですから、これはありません。特別な道具を使わずに飲んだとすると、獅子文六氏いうところの、野点コーヒーつまり、薬缶か鍋にコーヒーを豆のまま入れ、沸騰したら上澄みをとって、濃厚なコーヒーを飲んだのかもしれません。
長い行乞の旅の間の、ひとごこちつけることができた時に、庵でコーヒーを飲んでいた山頭火にはどのような香りをかいていたのでしょうか。きっと心休まるひと時であったことと思います。
(了)
山頭火とコーヒー (10)
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山頭火とコーヒー (10)山頭火の絶筆というべき三句に
「ぶすりと音たたて虫は焼け死んだ」
「焼かれて死ぬる虫のにほひのかんばしく」
「打つよりをはる虫のいのちのもろい風」
がありますが、辞世の句が「もりもりもりあがる雲へ歩む」とする説があるものの、他に諸説あるようです。
死の年である1940(昭和15)58歳 の「一草庵日記 」に
『 八月二十日 晴。
早起、空が何ともいへない美しさだつた。孤貧に徹せよ、それが私に残されたる唯一の道である。即景即事即物即心である、あらねばならない。
句作の心がまへとして、―― 貪著心を去れ。身心一如たれ。すなほであれ、強く強く、細く細く。……
昨日は昨日の風が吹いた、今日は今日の風が吹く、明日は明日の風が吹かうではないか。
今日の今を生きよ、生きめけよ。』
として、自らの運命を受容し達観している心情が見られます。
絶筆は死の3日前である十月八日に
『 … 感謝は誠であり信である、誠であり、信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽きせぬ喜びが生れるのである。… 母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊―仏―への感謝。
一洵老が師匠の空覚聖尼からしみじみ教へてもらつたといふ懺悔、感謝、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道である――と思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり、精進があれば必ずそこに感謝があるべき筈である、感謝は懺悔と精神との娘である、私はこの娘を大切に心の中に育くんでゆかなければならぬ。
芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろう … 感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。 … 更けて書かうとするに今日は殊に手がふるへる。』
として、自らの死を覚悟しているかのように思えます。
他界の半年前に著した『草木塔』の冒頭「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」と認めており、母親の位牌を身につけて旅をしていたことからも、10歳で死に別れた母親への思慕が終生あったように考えられます。
山頭火は、酒とともにコーヒーを好んでいたことが分かりましたが、果たしてコーヒーをどうやって飲んでいたのでしょうか。サイフォン式だったのか、ドリップ式だったのでしょうか。
山頭火がコーヒーを盛んに飲んでいた時代は、1933年神戸に上島商店(現UCC)が創業、1934年にはコロンビアコーヒーの輸入開始され、1938年にはコーヒーの輸入制限が始まった時期です。インスタントコーヒーは1960年代ですから、これはありません。特別な道具を使わずに飲んだとすると、獅子文六氏いうところの、野点コーヒーつまり、薬缶か鍋にコーヒーを豆のまま入れ、沸騰したら上澄みをとって、濃厚なコーヒーを飲んだのかもしれません。
長い行乞の旅の間の、ひとごこちつけることができた時に、庵でコーヒーを飲んでいた山頭火にはどのような香りをかいていたのでしょうか。きっと心休まるひと時であったことと思います。
(了)
- 2015.12.27 Sunday
- 10:37
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- by パロット店長