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茂吉父子コーヒーの譜系(1)

JUGEMテーマ:コーヒー
茂吉父子コーヒーの譜系(1)

coffeecup
 
 斎藤茂吉は、「黒々としたるモッカを飲みにけり明日よりは寒き海をわたらむ」と詠んで、1921年(大正10年)に渡欧。当時、対日感情の芳しくないドイツに転じた茂吉は、日本人への蔑称である「ヤップス(Japs)」を投げかけられていました。仮住まいから、定住する住居を探すため、「日本人」という文字を大書きし、「日本人、部屋を求む。家賃を示して書面をサイトウ博士に寄せられたし」などと書かれた広告文を新聞に掲載していました。関東大震災発生の1923年9月1日のことです。

 そうした中で書かれた紀行文「ドナウ源流行」の主題は排外主義の克服とされます。シュヴアイガー・レルヒェンフェルト(Schweiger Lerchenfeld)の『ドナウ河(die Donau)』にある「ドナウ河は、さまざまな民族、文化の発達段階がさまざまな国々を貫いで流れ、それらを結びつけてきた、と書かれている」に触発され、ドナウ河を遡行しました。

 渡欧中の茂吉が記したコーヒーの記述は「日本媼」に書かれています。
『媼(おうな)の名は、Marie・Hillenbrandといふ。媼がまだ若くて体に弾力のあつた頃から、その母親と共に多勢の日本留学生の世話をした。当時の日本留学生は概ね三年ぐらゐ居たのであり、一つの都市に居ついて其処で勉強するのを常としたから、都市の人々と留学生との間に、おのづと心の交渉が成立ち、それが今時と較べて余程親密なものであつたと見える ………
私は媼のところに世話になるやうになつてから、朝食を毎朝媼のところでした。黒麺麭を厚く切りそれに牛酪(バター)とジヤムとを塗つて、半々ぐらゐの珈琲を一碗飲ませた。』とありますが、「半々ぐらゐの珈琲」とは何か。碗の半分なのでしょうか。

 茂吉が帰国3年後に生まれた、次男である北杜夫(1927-2011)は「どくとるマンボウ」で知られる小説家、エッセイスト、精神科医ですが、「どくとるマンボウ航海記」に輸入初期のインスタントコーヒーである「ネスカフェ」を登場させ、1974年頃「ネスカフェゴールドブレンド」を愛飲し、テレビCMでうまそうに飲んでいました。

(続く)

 
  • 2015.10.11 Sunday
  • 08:46