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山頭火とコーヒー (2)

JUGEMテーマ:コーヒー
山頭火とコーヒー (2)
 
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 山頭火の俳句を考えるためには、その生涯がどのようなものだったかを知らずに語れないといえます。あまりにも波瀾万丈の生涯はそれだけで何冊も書物が書けそうですが、簡単にその生涯について書いてみましょう。
 1892年(10歳)父の不貞などが自殺原因で母が井戸に投身自殺。水死体に衝撃。
 1896年(14歳)私立周陽学舎(現防府高)入学。短歌を「少年界」などに投稿
 1901年(19歳)東京専門学校予科(現早稲田大学)入学するも3年後神経衰弱で退学
 1907年(25歳)酒業開業
 1909年(27歳)結婚
 1910年(28歳)無軌道な飲酒
 1911年(29歳)文芸誌「青年」に参加。山頭火の雅号でツルゲーネフの翻訳。弥生吟社(後の椋鳥句会)句会に大正2年まで参加
 1912年(30歳)一切の文芸から当分遠ざかると宣言
 1913年(31歳)正月から酒、女に耽溺、金策に悩む。井泉水に師事。「層雲」に田螺公の名で短歌が初入選。短歌回覧紙「四十女の恋」に短歌六首掲載。「山頭火」を俳号とする
 1916年(34歳)酒業破産につき熊本に妻子とともに転じ古書店開業。作句活発
 1919年(37歳)上京しセメント試験場アルバイト、三年後、市役所正雇用なるも神経衰弱で退職
 1920年(38歳)離婚
 1923年(41歳)関東大震災被災、熊本の元妻宅へ。翌年酒酔いし市電を停止させる
 1925年(43歳)出家得度、耕畝(こうほ)と改名。近在托鉢
 1926年(44歳)一鉢一笠の行乞放浪。「山頭火」と改名し「層雲」に「分け入っても…」を投稿
 1927年(45歳)〜1932年(50歳) 四国、山陽、山陰、北九州を行乞。この間泥酔で留置されたことも
 1932年(50歳)山口県小郡町に「其中庵」結庵。第一句集「鉢の子」刊
 1937年(55歳)まで九州西北部、広島、神戸、京都、名古屋行乞。53歳 服毒自殺未遂。鎌倉、伊豆、東京、仙台、平泉、福井から九州へ。下関の材木店に就くも長続きせず。泥酔い無銭飲食で留置
 1938年(56歳)其中庵崩壊。近畿、東海、信州、四国に行乞
 1940年(58歳)中国、九州から帰り、句会の後心臓麻痺で他界 
  年譜は句集「山頭火」(春陽堂)より引用しました

 幼くして母の死に遭遇したことが、山頭火の深い傷になって残っていたはずです。大学入学、退学。繰り返し就職、退職、家庭生活も長続きせず挫折の連続でした。43歳から58歳までの15年間のほとんどを行乞の旅に出て、好き過ぎる酒で何度もしくじっています。それまでになかった、文字数にこだわらない自由律俳句は、自分のうまくいかなかった生活、若くして触れたロシア文学の風を感じての、因習にとらわれたくない心の叫びとして生まれてきたのかもしれません。

 諸国行脚、行乞の旅路の間のほっとできたであろう時間に、口にすることができたコーヒーはどの年代で触れることができたのでしょうか。つぎは、本題の山頭火とコーヒー、コーヒーをうたった句がどのような時に作られたかに話を進めます。

(続く)

 
  • 2015.11.01 Sunday
  • 08:30