談話室

カフェ・ミネルワ(1)

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カフェ・ミネルワ(1)
 
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 鴎外の作品である「うたかたの記」にカフェ・ミネルワという名のカフェーが出てきます。「うたかたの記」は、
『 幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢よく突立ちたる、女神バワリア(=バイエルン)の像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門に据ゑさせしなりといふ。その下よりルウドヰヒ町を左に折れたる処に、トリエント産の大理石にて築きおこしたるおほいへあり。これバワリアの首府(=ミュンヘン)に名高き見ものなる美術学校なり。校長ピロッチイが名は、をちこちに鳴りひびきて、独逸の国々はいふもさらなり、新希臘、伊太利、丁抹(デンマーク)などよりも、ここに来りつどへる彫工、画工数を知らず。日課を畢へて後は、学校の向ひなる、「カッフェエ・ミネルワ」といふ店に入りて、珈琲のみ、酒くみかはしなどして、おもひおもひの戯す。こよひも瓦斯燈の光、半ば開きたる窓に映じて、内には笑ひさざめく声聞ゆるをり、かどにきかかりたる二人あり。 』

から始まり、文語調でなかなか難解です。


 若い洋画家である巨勢(こせ)とドイツ人少女マリーとの恋愛物語で、悲しい結末が待っています。およその筋書きは次のようなものです。
 『 マリーの父親は国王ルードウイッヒ二世に評価され、名前の売れた画家をしていた。マリー12歳の時、王宮の夜会に両親が招待されたが、薄暗く妖しげな影をつくりだす部屋で、宮廷の中で知られた美人の母は国王にいい寄られ、それを知った父は、王を押し倒し難を逃れた。この事を知って忠告した内閣秘書官は投獄されそうになった。王は狂人となり、陸軍大臣、大蔵大臣などを理由なく死刑にした。(最近、何処かの国でも似た話がありましたね。)
13歳の時、両親は亡くなり、マリーは孤独の身になった。ある日、見知らぬ男に無理やり誘われ湖で危うい目に合わされ、水に飛び込み、漁師夫婦に助けられ、その縁で養父母になってもらった。

 巨瀬はマリーと馬車で湖に出かけた。二人はすっかり恋人のように振る舞うようになっていた。ボートに乗っていると、岸辺にあの国王の姿があった。国王は、怪しい幻を見るように恍惚として、「マリー」と叫びながら岸の浅瀬を渡り近づき、それを止めようとした侍医も、顔には王の爪あとを残し、国王とともに溺死。マリーも溺れ、巨瀬が救いを求めて巡り合ったのはマリーの養父母だった。』

 国王の死とマリーの両親、マリーの死と関連させ、国王がマリー母娘に恋慕していることが、注目されるところと言えそうです。

さて、そのカフェ・ミネルヴァはどんなカフェだったのでしょうか。

(続く)


 
  • 2015.09.13 Sunday
  • 09:03

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アメリカン・コーヒー (3)

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  コーヒーをカップにどれほど入れて飲むでしょか。デミタスで半分ほどなら、何杯も飲めるかもしれません。カップに口切りいっぱいなみなみと入れて、口が迎えに行かないとこぼれそうにして飲む人がいてもおかしくありません。普通のコーヒーカップ(250cc程度)の八分目だと200cc程度です。ひとそれぞれです。
 
 「ピッツバーグの美人」(草森紳一著)に、アメリカン・コーヒーの分量について書かれています。
ピッツバーグですすめられた、大きなカップになみなみと入れられ、もちあげる手が少し震えそうだったコーヒーを想い出すと、浴槽の上端すれすれまで湯を張った浴槽を思い起こすそうです。ピッツバーグがなぜ出てくるのか。コーヒーをなみなみ注ぐことは、アメリカの各地で経験したが、ピッツバーグに美人が多かったからだそうです。いいイメージから、コーヒーにもいい印象を得たためかもしれません。

 風呂の湯を浴槽いっぱいにして、片足を入れるだけでザーッと溢れ出る湯を見ると、もったいないと思う人は多いでしょう。首までどっぷり湯に浸かって、湯がたっぷり流れ出て、床に置かれた手桶が浮き上がる様子を目を細めて見ながら、思わず「極楽、ゴクラク!」と唸るのは,わるいものではありません。ささやかな贅沢です。でも毎日そうするひとはあまりいないでしょう。

 アメリカで飲んだ、薄味のカップ口切り一杯のコーヒーをアメリカン・コーヒーと呼ぶなら、日本のアメリカン・コーヒーは濃さは同じでも、カップ八分目の日本式アメリカンです。健康のための腹八分目、風呂に入っても湯をこぼさない程度の給湯などは、ものを大切にする日本人の「生活の知恵に属する適量の感覚」であり、アメリカのそれは、「物惜しみしない」精神から来ている、と「ピッツバーグの美人」で語られています。

 そうはいっても、今までと違って国力が落ちて、経済的にも放漫会計が許されず、他国への影響力も縮小している状態のアメリカは、いつまでも「物惜しみしない」精神でいられなくなるかもしれません。もしかすると、アメリカの現状および将来は、アメリカ流のアメリカン・コーヒーがどの程度カップに満たして飲むようにしているかをカフェーで観察すれば、読み取れるのかもしれませんね。

(了)


 
  • 2015.09.06 Sunday
  • 10:23

談話室

アメリカン・コーヒー (2)

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 『…  私の気になるのは、薄口の流行なのであります。タバコも酒もコーヒーも、女になびく薄口文化。こんなことをやっていては、人間も薄口になっちまう、… 飲む以上は強い酒を!喫う以上は強いタバコを!啜る以上は濃いコーヒーを! … いま、私のノドを通りぬけたこの強く濃いコーヒーの香り、これですよ男の味は。流されるものは流されよ、われ独りとなりとても孤塁を守ってみせるぞお!
固い決意に眉は釣り上がり、無造作に組んだ両の腕も震え加減に睨みつけ … 奥歯を噛むように力を入れると、私は、口中にたまった濃く強いコーヒーを、鶴田浩二のように苦渋の表情を作って一気に飲み込んだ。
 そのとき …… 「アンタ、間違って飲んだでしょう、あたしのアメリカン!」  』

とんだ「男の味」でした。
コーヒーの濃淡の感じ方に個人差はあるでしょう。しかし、フレンチ・ローストを好む男性が、女性が好むアメリカン・コーヒーを「濃い」コーヒーと思い違いしているとは滑稽な気がします。味に対する感度はひとそれぞれですし、体調や精神状態でも変わるものです。また、直前に口にした食べ物によって大いに変わるものです。チョコレートなどはコーヒーを旨く感じさせますが、煎餅はコーヒーの味を別の物にしまいます。ところが、最近、「この煎餅はコーヒーに合います」などというものもあります。

一般に、人間の味覚は2、3歳までの食生活によって決まると聞きます。それまでに、いろいろな味を感じる「舌」の感じる部分にどれほどの経験値を積ませるかで決まるということのようです。亜鉛の摂取量が減少すると、味が分からなくなるといいます。濃い味の食物ばかり摂っていると、それに馴れて濃い味を当たり前の味と感じるのでしょうが、薄味は判別しにくくなることにつながります。
ま、アメリカン・コーヒーでもフレンチ・ローストでいれたコーヒーでも、お好み次第、どちらがいいなどということは陳腐な会話に過ぎないということでしょう。

ところで、国名、都名のついたコーヒーのいれ方に、いろいろあります。カフェ・ナポリターノ、ダッチ・コーヒー、ウィンナー・コーヒー、ロシアン・コーヒー、アイリッシュ・コーヒー、ターキッシュ・コーヒー、などです。では、ジャパニーズ・コーヒーとは何でしょう。インスタント・コーヒーなのか、缶コーヒーなのでしょうか。それとも ……。

(続く)

 
  • 2015.08.30 Sunday
  • 10:06

談話室

アメリカン・コーヒー (1)

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アメリカン・コーヒー (1)

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 『あたしのコーヒー、アメリカンにしてくれる?』
 『ええ、薄めのですね』
 『ええ、アメリカン』
 『はい、薄口の … 』。
村松友視のエッセー「アメリカン・コーヒーよ、何処へ行く」の冒頭です。

  アメリカン・コーヒーは、焙煎度が低いシナモンロースト(浅煎り)、ミディアムロースト(やや浅めの中煎り)の豆を使って、お湯の量を多くしていれるコーヒーで、苦味よりも酸味が強い味わいです。その名の由来には諸説あるようですが、アメリカン・コーヒーの名はアメリカには存在せず、日本固有の名です。

  『コーヒー教室』(有紀書房)によると、アメリカン・コーヒーに相当する入れ方について、「カップは、大きめのモーニングカップ。豆は酸味のあるものをベースにして、それぞれ浅煎りにしてブレンドする。粉の量、あるいは湯の量で加減して、比較的薄めに入れるようにします。… 」
  というものですが、砂糖、ミルクを入れない飲み方が多いようですが、好みによります。
 
  深煎りのコーヒーなどを、大量の湯で希釈して薄くしたものは、本来のアメリカン・コーヒーとは異なりますが、現在は、単に「薄いコーヒー」をアメリカンと呼んでいる場合が多いようです。そのためか、髪の薄いことを、「頭がアメリカンになった」、白状な人物を「アメリカンな人間」、人間関係が希薄になると、「あいつとはもうアメリカンな関係」になった、などと言うこともあるようですが、アメリカ人にとってはいい気持ちはしないでしょう。
 

話を戻しましょう。『いつ頃からのことだろうか、喫茶店でアメリカン・コーヒーとかいうものを注文する女性客が激増したという。… 間違って普通のコーヒーなんぞが出てきてごらんなさい。あれほど注意したのに、日本ってまだだめなのねってお顔をさなる。「こんな濃いコーヒーなんて飲めないわよ、第一からだに悪いじゃない、野蛮ね、この店、アメリカン・コーヒーも通じないだから」… 濃いコーヒーが野蛮で、薄いコーヒーが文化だなんて言われちゃ、食道楽の歴史を大事にはぐくんできた甲斐もなにもない、… どっちが野蛮かなんて話に、極東の小島でちまちまやってきたわれわれ日本人が割り込む必要はなかろう。多分、パリ帰りの日本人はアメリカン・コーヒーを野蛮とさげすみ、アメリカ帰りの日本人はフレンチ・ローストを野蛮と笑うだろう … 』

アメリカン・コーヒーを好む女性とフレンチ・ローストを好む男性が、それぞれどちらがいいか、やり合うのですが話の最後に、考えもしない「おち」がついていました。

(続く)

 
  • 2015.08.23 Sunday
  • 10:11

談話室

團伊玖磨とコーヒー(10)

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團伊玖磨とコーヒー(10)
 「どっこいパイプのけむり」(1997年2月)「パンとコーヒー」

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伊玖磨氏曰く、『その国の言葉が分からなければ、向こうのひとから見れば「無教養」かつ「落ち度」と言う。フランス語が使えぬということは、ヴォルテールもボードレールも誦せず、ベルリオーズ、ドビュッシーのオペラも … 立て看板も交通標識も読めぬ者、… どう対処してよいか分からぬ無教養、知恵の足らぬ者として分類されてしまう』。英語、独語を堪能とした伊玖磨氏はフランス語だけは修得の機会がなかったにもかかわらず、ヨーロッパで初めて訪れたのがフランスだったそうです。

そのフランス生活の中で気づいたことは、フランスのパンのおいしさだったそうです。以前の日本のように、主食の米食に対する代用食、病人食であり、弁当を忘れたときの代用品としていたことに対し、ヨーロッパでのパンの存在は全く異なったといいます。フランスのブリオーシュ、クロワッサン、ドイツのタマネギのような皮の堅いパン、イギリスのトースト、ロシアの黒パンはいずれも初手(しょて)だったためかおいしさは強烈だったそうです。

もうひとつが、エスプレッソ・コーヒーだったといいます。薫り高く、コーヒーのエッセンスというべき、小さいカップに入れた、熱いエスプレッソを家で飲むために、ローマで簡便なエスプレッソの道具を、その後中型の本格的な機械を手に入れたそうです。そのエスプレッソは、いつも飲むものでなく、『レギュラーやカプチーノやさまざまないつものコーヒーを飲みながら、時にエスプレッソを飲みたくなったときに飲む。その時がエスプレッソを飲むときなのである』としています。「時にエスプレッソを飲みたくなったとき…」は分かる気がします。突然、コーヒーを飲みたくなったり、ラーメンを食べたくなったり、しょっぱい煎餅、甘いものを食べたくなったりすることがあるのは不思議ですが、「体が食べ物飲み物を欲している」ためなのでしょうね。

日常的にコーヒーを飲んでいながら、ある日、ある時、急にエスプレッソ・コーヒーを飲みたくなるのは、エスプレッソの苦さ、味わいをEspresso=特急 で欲した結果なのでしょう。伊玖磨氏はヨーロッパで知った日常生活の感覚の中で、パンとコーヒーが飛び抜けていたことは平凡なことだったと思っていました。

『日常の平凡な事物が魅力的なことは、褻(け)の世界の素晴らしさあっての、あの晴れの世界の素晴らしさ』と気づき、そう気づいた若かった自分を『褒めてやりたい』気になったそうです。これは「褻にも晴れにも」の慣用句からと思えますが、「ふだんにも晴れ晴れしいときも」の意味ですが、伊玖磨氏は、「日常的なことあってこ、その晴れの日の素晴らしさ」に気づいたと言うことでしょう。含蓄のある言葉です。

(了)


 
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  • 2015.08.16 Sunday
  • 08:07