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談話室

團伊玖磨とコーヒー(9)

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團伊玖磨とコーヒー(9)
 「晴れてもパイプのけむり」(1990年11月)「珈琲タイム」その2

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 伊玖磨氏は砂糖をたっぷり入れてコーヒーを飲んでいるように思いますが、スプーンで砂糖をかき混ぜて、あま〜いコーヒーを飲んでいるわけではないのです。そこがなかなか通の飲み方です。
 『先ず、砂糖を沢山入れることである。無論珈琲カップの大きさによるけれども、白角砂糖ならば二個か三個、この頃は余程のとこでないと角砂糖を出してくれないので、粉砂糖ならば茶さじに二、三杯はたっぷりとしゃくり込む。けちけちするな、そう思う。僕は吝嗇(りんしょく=物惜しみ、けち)であるが、珈琲の砂糖とタクシー、ハイヤー代に就いては全く吝嗇ではない。…そうしてたっぷり入れた砂糖をぐるぐるとかき回すと思いきや、一寸だけ、つまりぐるっと一回りだけ掻き回す。全部溶かそうとして何遍も掻き回すのは吝嗇な人間のすることである。砂糖の大半をカップの底に残し、上澄みが珈琲に馴染んだだけのほうがコーヒーが美味しいのだから仕方がない』
というものです。

 この飲み方は、カップの中の砂糖濃度は底に行くほど濃く、液面ではほとんど甘さは感じないことになります。ゆっくりこのコーヒーを飲むと、はじめは苦味を、次に甘さと少しの苦さを、最後はしっかり甘さを味わえることになります。そしてまた、伊玖磨氏はコーヒーを大概2杯づつ飲むそうです。『二杯目は、砂糖もクリームをいれない。そうするとカップに残っている砂糖がいい甘さを出し、残ってない場合も、口に残っている甘さとコーヒーが中和して、後がさっぱりする』

 砂糖をスティック状の紙包みに入れ、健康のために糖分の摂取量を気にすることはいかがなことかと疑問を投げかけています。『砂糖を節し、珈琲、紅茶を不味くしながら健康を保持し、長生きを望む人たちが、健康に生き、長生きをして一体なにをしようというのか判らないし、判ろうと思わない … たかだかがたかだかであるだけに、珈琲と紅茶はうまく頂きたいと思うのである』

 砂糖を入れないほうがコーヒーのうまさを感じる、と思う人はこの文章に賛成できないでしょう。うまさを犠牲にして長生きして云々も、今は糖分控えめの砂糖もあると思えば、塩分控えめな食塩も手に入れることができる時代になっています。須らく、何事も白黒で事を決するのでなく、その間にいいことがある場合が多いように思います。

 日本の家で考えると、家の中と外の間に軒下があります。この灰色の空間の良さは海外のひとびとには理解しにくいのかもしれません。灰色の空間をよしとする考えが広く認知されれば、世の中はぎすぎすせずに済みそうに思います。コーヒーの味わいも、自分の飲み方が最上と思って飲むだけでなく、偶には変わった飲み方を試してみるのもいいかもしれませんね。

(続く)
 
  • 2015.08.09 Sunday
  • 09:40

談話室

團伊玖磨とコーヒー(8)

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團伊玖磨とコーヒー(8)
 「晴れてもパイプのけむり」(1990年11月)「珈琲タイム」その1

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 ホテルのロビーでのひと待ちにコーヒーを注文したときのこと。西洋人形のような服装のボーイさんがコーヒーとともに、砂糖、ミルクを持ってきました。伊玖磨氏はコーヒーを飲む流儀がきっちり決まっていて、目の前のソーサー上に置かれた砂糖、クリームがお気に召さなかったようです。コーヒーを飲んで五十年。たかだかコーヒーされどコーヒーであっても、「たかだかである故に、そのたかだかが、たかだかである意味を大事にしようと思いながら、… 美味しく珈琲を飲もうとして来た」。なるほどと思います。このこだわりがいろいろなことへの興味を引き起こし、音に、言葉への感度を上げているように思います。こだわりとは、思い入れ、相手との真剣な対峙があるからこそ持てるものなのでしょうね。

 伊玖磨氏は、他人がどのような飲み方をしているかなど興味はなく、白秋が言うところの、「私は私、芥子は芥子」だそうです。これは、民謡集「芥子の葉」(昭和4年 1929年)
『芥子は芥子ゆゑ香もさびし/ひとが泣かうと泣くまいと/なんのその葉が知るものぞ
ひとはひとゆゑ身のほそる/芥子がちらうとちるまいと/なんのこの身が知るものぞ
わたしはわたし/芥子は芥子/なんのゆかりもないものを』
からの引用です。

 まず、ピンクの細長い筒状の紙袋に入れられた砂糖について。みみっちくて、「忌々しい」とまで思ったそうです。伊玖磨氏のあるべき砂糖の姿は、白角砂糖しかないそうで、それも、一度に2、3個を入れるそうです。スティック状の砂糖なら2、3本、ときには4本もリクエストするそうで、そのときは「胡乱な者=うさんくさい人の意」の扱いを受けるそうです。伊玖磨氏にしてみると、スティック状の砂糖で、量をそれも少量に限定されていることが、「とんでもないこと」と感じたようです。因みに、スティック状の砂糖と角砂糖はともにほぼ3gで量は同じです。
 つづいて、クリームについて。プラスティック製の銀紙の蓋のついた小カップに入れられたクリームは、何時、誰が、どんな場所で容器に入れたか判らぬものなど、恐ろしくて胃に送るわけにいかないそうです。また、少量に限定していることがお気に召さない。この少カップに入れられたクリームが、常温で長期間劣化しないものなら、乳製品ではなさそうです。植物性なら、最近注目を集めているトランス脂肪酸のようで、その摂取量に注意喚起がなされていると聞きます。今から25年も前に伊玖磨氏が、気に入らないと言っていたことが当たっていたのでしょうか。

(続く)
 
  • 2015.08.02 Sunday
  • 08:51

談話室

團伊玖磨とコーヒー(7)

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 「暮れてもパイプのけむり」(1990年3月)「缶珈琲」その2

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 伊玖磨氏は、『缶入りの珈琲というものは、どうしてこんなに迄本当の珈琲と異なるのだろうか。砂糖だか人工甘味料だかが入りすぎていて甘すぎるからか、粉乳と脱脂粉乳の入れ方が独特なのか、要するに普通に入れた珈琲とは別の物の感じがする。月と鼈(すっぽん)というような意味でいうわけではなく、全然別な物の感じがするところが不思議で仕方がない。お茶やビールやコカコーラは缶に入ろうが入るまいがそれほど変わらないが、珈琲は別の物の感じになる。不思議なことだ』と、缶コーヒーを酷評しています。

 伊玖磨氏が言うところの、「砂糖だか人工甘味料だかが入りすぎていて甘すぎる」という糖分の表示には、基準ができています。
厚労省の「栄養表示基準に基づく栄養成分表示」によると、
100g当たりの糖分が0.5g以下を無糖、糖分ゼロ、シュガーレス、ノンシュガー、
100g当たり2.5g以下0.5g以上を低糖、(甘さ)ひかえめ、ライト、小、ダイエット、オフ
などと表示できることになっています。標準的な缶コーヒー190gに換算すると、無糖は100g当たり0.95g、甘さひかえめは4.75gということになり、無糖の表示でも糖分はゼロではないし、甘さひかえめといっても、缶コーヒーの中に角砂糖が1個は入っていることになります。ということは、メーカーによって、缶コーヒーの中に糖分が0.1gでも0.4gでも無糖だし、2.0gでも2.4gでも甘さひかえめということになります。

 1杯100円のコンビニコーヒーがあるのに、120円の缶コーヒーをなぜ飲むんだと、素朴な心配をする人がいますが、缶コーヒーは携帯性があり、急いで飲みたいときに買えるし、仕事仲間に、お疲れサンといって缶コーヒーを奢ってお互いにいい気持ちになるのもいいものです。

 伊玖磨氏が言うように、『缶詰には缶詰の別な良さも起こることとなり、本当の珈琲よりも缶珈琲の方が好きだという人が現れても不思議はないことになる。だから、本物とは別の物として、あんなにたくさんの缶珈琲が売れている訳なのだろう。… 折角そうなのに、缶珈琲の中に香りや味を求め、その結果失望したりする僕のような輩は、まことに垢抜けない輩なのであろう』と言うことなのでしょうか。

 現在の缶コーヒーはあまりにも種類が多く、伊玖磨氏が見たらさぞかしびっくりするでしょう。レギュラーコーヒーだけがコーヒーと思っている人は、缶コーヒーは飲まないに越したことはありません。伊玖磨氏は缶珈琲は甘くて仕方なかったという言っていましたが、レギュラーコーヒーを飲むときは、スプーンに2,3杯は入れたそうですから、缶コーヒーに置き換えると、「甘さたっぷり」のコーヒーということでしょうか。

(続く)
 
  • 2015.07.26 Sunday
  • 09:04

談話室

團伊玖磨とコーヒー(6)

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「暮れてもパイプのけむり」(1990年3月)「缶珈琲」その1

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 「缶珈琲」のエッセーは、『人件費節約のためだろう、自動販売機がいろいろと開発されて、街角や駅の方々のあの詰まらぬ下駄箱をおっ立てたような姿をさらし、その数がこちらに無断でやたらに増え始めたのは、ほんのこの数年のことに思われる』から始まっています。

 自動販売機の歴史は古く、古代エジプト時代に発しているそうですが、日本では明治時代からで、たばこ、郵便切手がはじめだそうです。現在は、どれほど人里離れていると思われている場所にも、自動販売機を見つけることができます。土地柄もあるようですが、扱っている商品は、たばこ、郵便切手、乗車券のほかに、コーラ、ジュース、コーヒー、ラーメン、うどん、酒、下着、野菜、やきそば、たこやき、書籍などなど数限りなくあります。変わったところでは、生きた蟹を売っているもののあるようです。

 「缶コーヒー」が日本で作られたのは昭和40年代だそうです。缶コーヒーは、糖分、乳製品の量でいろいろな種類に分類されています。「コーヒー飲料などの表示に関する公正競争規約」に基づく区分により、製品内容量100グラム中の生豆使用量によって、
 コーヒーは 5グラム以上
 コーヒー飲料は 2.5グラム以上5グラム未満
 コーヒー入り清涼飲料は 1グラム以上2.5グラム未満
に分類されています。また、製品に乳固形分を3%以上を含むものは「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」により「乳飲料」となっています(カフェ・オ・レ、カフェ・ラッテ、コーヒー牛乳など)。

 伊玖磨氏が飲んでいた1990年(平成2年)頃の缶コーヒーは百円だったと書かれていますから、物価がかなり上昇している割には現在とほとんど変わりありません。因みに平成2年は、バブル崩壊、ポール・マッカートニー初来日公演の年でした。

 横須賀線逗子駅にあった自動販売機には、『「つめたーい」と「あったかーい」の白抜きの文字が記された青と赤の二つに分類され、硬貨を入れ商品の下のボタンを押せば、妙に底力のあるごとごとんという音がして、缶が下の受け口に落ちてくる』とあります。このことを詳細に伊玖磨氏が書いたのは、『時代が経ってもっと新しいシステムができるだろうから、そのために書き残すつもりだった』、とあります。

 基本的な、缶コーヒーが出てくる様子は現在も変わりありませんが、少しだけ違うのは、自動販売機の中の温度調整を外気温などとの関係で正確に調整していること、飲み物を買うと、機械の中から、おねーさんが「ありがとうございました」と答えてくれることくらいでしょうか。
高齢化社会に向かって、もしかすると、話し相手のない年配の人が、自動販売機のおねーさんの声を聞きたくて通う人が出てきてもおかしくなさそうです。飲み物の種類によって声が違ったらおもしろそうですね。

 自動販売機が命の綱になる場合もあるようです。大震災の経験を経て、非常時に無料で飲み物を提供してくれる「災害対応型自動販売機」がありますから心強いです。停電から48時間程度は動作するそうです。身近にそうした自動販売機があるか調べておくことは必要かもしれません。

(続く)
 
  • 2015.07.19 Sunday
  • 08:16

談話室

團伊玖磨とコーヒー(5)

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團伊玖磨とコーヒー(5)
 「明けてもパイプのけむり」(1988年2月)「トルコ・コーヒー」その2

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 「有る物は須く全て楽しめとばかりに、家では時に応じて種々のコーヒー」の入れ方を伊玖磨氏は楽しんでいました。インスタントコーヒー、ドリップ式、サイフォン式、エスプレッソ・システム、そしてトルココーヒーです。
落ち着いて稍々大げさに楽しむ時は、ローマのカサ・ディ・アルミナムで苦労して手に入れた機械でエスプレッソを楽しんだそうです。湯沸しのタンクから把手の圧で熱湯を噴出させコーヒー粉を濾過するものだそうです。

 伊玖磨氏は、トルコ圏、アラブ圏の国々で素晴らしさを知ったというトルコ・コーヒーは、つぎのように入れるそうです。
「武骨な真鍮の筒で、三段に分かれ、上の段を外して豆を入れ、胡椒挽きのような把手をがりがり廻すと、中段に仕込まれた歯車で豆が挽けて、細かい粉が下の段に溜まる仕組みになっている。粉はふわふわするほど細かい。この粉を中匙二杯、砂糖も中匙二杯、そして小型のコーヒーカップ二杯分の水を差して火に掛ける。暫くするとぐつぐつ煮えたコーヒーがポットの口まで上がって来る。そのままにしていると溢れるから火から下ろす、コーヒーは下がる、また火に掛ける、また上がる、また下ろす、更にもう一度火に掛けて、三度目にコーヒーが上がって来た時がトルコ・コーヒーの出来上がりである。」

 こうして手間をかけてできたコーヒーを、件の青年に差し出すと、「いい香りすね、素晴らしいすね」と言う。
食べ物のおいしさを表現するのに、「柔らかい、甘い、食べやすい、ジューシー、超うまい」などと月並みなことしか言えないグルメレポーターさんがたくさんいますが、これらは食べ物のおいしさの本質を表しているようには思えません。自分にとって口に入れやすいかどうかしか伝わってこない気がします。コーヒーの場合、どのような表現が、特徴を表す言葉なのでしょうか。「薫り高い、ほどよい苦み、甘さがある」などは月並みな感じですね。

 尤もらしい言葉を並べなくとも、「いい香りすね、素晴らしいすね」の方が、率直でいい気もします。青年は「トルコ・コーヒーは良いすね、何とも香りが良いすね、また数日中にお邪魔します。今度は、何すか、そうすか、と言わないように口癖を直してきます」と言って帰ったそうです。

 「そうすか」と口の中で小さく呟いて、首を竦めたという伊玖磨氏の姿はどんなだったでしょうか。

(続く)

 
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  • 2015.07.12 Sunday
  • 09:45